SILK ME BACK

© Gorellaume
3月13日から18日まで、北上ふるさとプロジェクト代表の杉原敬と、その友人である星匠さんと、Maiko Eilzabeth Sato Karamさんは、フランスから来た「SILK ME BACK」というプロジェクトのメンバー4人と行動を共にしていました。
© Gorellaume
3月13日から18日まで、北上ふるさとプロジェクト代表の杉原敬と、その友人である星匠さんと、Maiko Eilzabeth Sato Karamさんは、フランスから来た「SILK ME BACK」というプロジェクトのメンバー4人と行動を共にしていました。
「もう2年」なのか、「まだ2年」なのか、どちらがふさわしいのか分かりませんが、今年もまた3月11日がやってきました。元旦とは別に、この日が来ることで一年間が実感され、まるで新しい暦ができたかのようです。この節目となる日に、十三浜地区では3か所の造成地合同の安全祈願祭、つまり起工式が行われました。
津波の被害があったところには、条例で災害危険区域に指定されるので住宅は建てられません。なので、この地を離れたくない人たちは、行政が造成する高台移転用地を利用し、家を建てることになります。しかし、土地の権利やさまざまな想いが複雑に絡み合い、用地を確保するのには大きな苦労があったそうです。「3月11日」という大切な節目の日を逃したら、まとめることは不可能かと思われ、連日、夜遅くまで話し合いが続けられ、最後の人とは、前日の10日になって、ようやく合意にいたったと聞きます。3年目が始まってしまう前に、なんとかして双六のコマを一つ進めたいという焦りのような想いがそうさせたのでしょうか。
ともあれ、無事、起工式ができてよかったです。造成終了は25年度中が目標で、住宅建設はそのあと。どの場所に誰の家を建てるのかは、現在も検討中です。まだまだ長い道のりです。
高台移転計画のパネルを持つ佐々木文彦さん(右)。これはあくまで計画案でしかなく、具体的にどのようになるかは、これからの話し合いで。
みなさんのおかげで完成した「We Are One KITAKAMI」(名前はこれになったようです)が、宮城県の新聞「河北新報」で取り上げられました。建設資金を提供していただいた「AfH(アーキテクチャー フォー ヒューマニティー)」主催で、子どもたちが地域の未来を考えるワークショップが開かれたのです。紙面をどうぞお読みください。
※これは2012年の年末に書かれた文章です。2013年の1月27日現在、北上ふるさとプロジェクト代表の杉原は、We Are One ハウスの建設を終え、埼玉県の自宅に帰っています。この記事は北上で作業をしていた頃に書いたものです。2月には、他の大工仕事をするために、再度、北上入りをする予定です。
埼玉の加工場での刻み初めから10週間にわたった工事でしたが、無事完了。
ほっと一息。
2月に初めて佐藤さんとお会いした時にはかなり簡素な建物を考えていましたが、出来上がりは想像以上の素敵な建物に! 仮設店舗の引っ越しとリニューアルオープンは1月20日頃を予定しています。
僕(杉原)もいったん埼玉に帰り家族とお正月を過ごすことにしています。そしてまたお店のオープンする頃には北上に戻ろうと思います。今度は北上の建築工事のお手伝い(といってもこれは大工の仕事としてですが)です。
北上に限らず石巻市、そして東北の被災地沿岸部全域で職人が不足しています。これは高台への集団移転や壊れた住宅などの補修がある程度落ち着くまで数年続くようです。仕事として関わりながら、また北上のレポートを続けていこうと思います。
残り仕事と帰路を共にしてくれたのは、東京は青梅でオリジナルの家具製作を生業としている星匠君。
http://www.co-zo.com/
今回は家具工事はなかったのですが、内装の細かい所や外部のポリカ板の取り付け、外壁の目板打など僕の手が回らなかった所を仕上げてくれました。
匠君は9月に福島県相馬市にオープンしたこども文庫「にじ」の内装工事と家具作りを担当。僕も木工事を手伝わせてもらいました。
相馬市のこども文庫「にじ」は版画家の蟹江杏さんの呼びかけにより始まったプロジェクト。
http://www.facebook.com/ehonnomori
相馬市の一角にある貸店舗の中に北上のこどもハウスにも使われたサワラの厚床板を張り、外部ファサードにもサワラの5分板を張りました。そこに杏さんと相馬のこども達が自由にお絵描き。小さいけれど素敵な建物に変身しました!
「3.11東日本大震災で傷ついた子ども達のために、絵で出来ることを」とはじめた10通のメールに、日本のみならず、世界中から届いた画材。被災地相馬市の子ども達と、版画家 蟹江杏が一緒に描いた、幼児から高校生までの絵画作品約200点。
そして、蟹江杏の呼びかけに応え、全国各地から集まった、絵本約8,000冊。(今では約12,000冊に)
(中略)
相馬の子ども達は、放射線の関係から、外での活動が依然として制限されている状況です。3.11こども文庫設立プロジェクトでは、その様な状況の子ども達に対して、屋内で安心して絵本に触れていただける建物としての文庫の設立を目指して活動を継続しています。」
最後に建物と隣の丸山地蔵さんに挨拶をして北上川をいざ西へ。
途中、歳の市に蕎麦を打ちにきてくれた、大工の高橋棟梁の住む福島県耶麻郡西会津町へ寄り道。会津はさすがに雪で真っ白!
会津の名物馬刺をごちそうになり、温泉に入って一泊。
次の日は隣町の河沼郡柳津町にある円蔵寺にお参りしてきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/福満虚空蔵尊
茨城県東海村の村松山虚空蔵堂、三重県伊勢市の金剛證寺などと共に日本三虚空蔵の一つに数えられる名刹。すばらしい彫り物と荘厳な境内に心静められます。
高橋さんもそうですが、会津地方には腕の立つ大工さんが今でもたくさんいます。(以前のブログで紹介したいわきの木造板倉仮設住宅建設は会津の大工さんが中心となって行われました)僕もまだまだ勉強しなければ。
ということで、今回の「北上ふるさとプロジェクト」は一段落。
皆さんお疲れさまでした〜
※これは2012年の年末に書かれた文章です。2013年の1月26日現在、北上ふるさとプロジェクト代表の杉原は、We Are One ハウスの建設を終え、埼玉県の自宅に帰っています。この記事は北上で作業をしていた頃に書いたものです。2月には、他の大工仕事をするために、再度、北上入りをする予定です。
僕たちが拠点にしているアパートは石巻市浦屋敷にあります。(一階部分が壊れたままの屋敷) 震災後リュクスさんが直して使えるようになったワンルームのアパートです。二階建てのアパートの利用者はおおむね復興の仕事に携わる職人さんのようです。ここも津波の被害があった地域です。床から1.5m位は津波が来たようです。
まわりの家は取り壊されていたり、残っていても使うことができないまま。災害時の危険区域に指定されていることから残った家もいったん取り壊してしまうと再建はできません。それでも残っている家々の半分以上は人が住んでいるようで、夜には明かりが付いています。
復興が進んでいると言われる石巻ですらこのような状況です。ここにいると失われた物の大きさが完全に想像の域を超えているのがはっきりと分かります。人々の暮らしや産業が手元に戻るまでには途方もない時間との戦いが待っています。
※これは2012年の年末に書かれた文章です。2013年の1月25日現在、北上ふるさとプロジェクト代表の杉原は、We Are One ハウスの建設を終え、埼玉県の自宅に帰っています。この記事は北上で作業をしていた頃に書いたものです。2月には、他の大工仕事をするために、再度、北上入りをする予定です。
毎日の通勤には北上川の土手を走ります。
土手は河口から上流15km程にわたって大規模な補修工事が行われています。北上川の南側(右岸、県道30号線)は国土交通省の工事、北側(左岸、県道197号線)は県の工事となっているそうです。(どうしてそのように分けられているのかは良くわかりませんが、、。)
左岸を下って橋浦地区に近づくと圃場(たんぼ)の再生工事が進んでいます。排水と捜索が終わったところでは、水路の補修が進み新しく土が入れられていきます。次の春には作付けが始まるのでしょうか。
追波川地区から右岸をしばらく下ると茅刈りの光景が見られました。ここ北上川中流域、下流域は全国で見ても有数の茅場と言われています。ここで刈り取られているのは葦(よし)と呼ぶのが正しいようで、葦を育てている場所のことを「葦原」と言っています。
震災以前は河原一面に葦が生えていたのですが、地盤沈下によりかなりの部分が水没してしまい今ではまばらになっている所も多く見られます。瓦葺きや銅板葺き、こけら葺きに並び古くからある重要な屋根材料ですが今では使う機会も減り、このような光景も見られることが少なくなりました。また葦紙といった和紙の製造もされていたのですが、やはり震災の影響で今は作られていないようです。暖かみのある丈夫そうな和紙です。新北上大橋の手前あたりは、津波によって運ばれてきた堆積土の搬出が進んでいます。土手を乗り越えて運ばれてきた堆積土はものすごい量です。排水がされて幾度も行われるがれきの分別が終わり、この泥を搬出してやっと元の土地に直す作業が始まります。
大川小学校を右手に見ながら新北上大橋を渡って現場に到着。もうすぐお正月です。引き渡しの日の朝、にっこりサンパークの入り口に「賀正」「復興」の文字の書かれた門松が地元の業者さんの手により立てられました。2013年がより良い年となりますように。
※1/23現在、北上ふるさとプロジェクト代表の杉原は、We Are One ハウスの建設を終え、埼玉県の自宅に帰っています。この記事は北上で作業をしていた頃に書いたものです。2月には、他の仕事の手伝いをするために、再度、北上入りをする予定です。
にっこりサンパークの入り口から川上に300m程行ったところに仮設プレハブの居酒屋「ふーちゃん」があります。2間半×4間の鉄骨プレハブをボランテイアと地元の職人さんたちで改装してお店にしました。隣には鉄道のコンテナを利用したカラオケボックスも付いてます。
「ふーちゃん」の名前はここの女将さんが”富士子さん”だから。面白い話が好きで良く笑う豪快な女将さんです。そしてここで出している料理がまた旨い! 魚は漁師のご主人が目の前の海から取ってきた新鮮な物ばかり。僕のおすすめは牡蠣鍋。みそ味が利いた逸品です。
以前はこの地域でも大きなお店で繁盛していたそうですが、津波に流されて今では仮設住宅に住む方々の一時の安らぎの場所となっています。仕事が終わった後に様々な話ができるこういった場所はとても大切なようです。
25日にWe Are One ハウスの引き渡しが終わり、次の日に設計の佐々木さん、建具屋の那須野さん、東京から応援に来てくれた家具屋の星君と打ち上げでふーちゃんに行きました。地元の漁師さんたちが地元の復興に付いて話をする中に加わらせていただき、おいしい料理とつきない四方山話、最後はカラオケで盛り上がりました。佐々木さんも久しぶりに歌ったそうで気持ちのよい夜でした。
北上入りしてから65日目。21日の時点で残った作業は外部の配管、厨房の器具設置と壁のペンキ塗り、店舗内部の基礎幅木左官仕上げ、店舗入り口の戸袋と風よけのポリカ板取り付け。最後の追い込みでは、監督の千葉さんや僕たちも遅くまでの作業となりましたが、なんとか25日の引き渡しの日を迎えることができました。
店舗内部の基礎幅木は道畑さんが残しておいてくれた材料を僕(杉原)が塗ることに。うーん、うまく塗れたかなあ?厨房とストックルームの壁塗装は千葉さんが仕上げます。
最終日の25日午前中にここの工事を請け負っている株式会社リュクスから職人さんが数名来て建物の周りに砕砂を引きならしました。
最後はばたばたでしたが、なんとか午後には片付けも終わって予定の工事完了!
完成した建物と工事内容について設計の佐々木文彦さん、リュクス社長の佐々木至(たもつ)さんから、ここのオーナーである佐藤尚美さんと出資元のArchitecture for Humanityの担当者の吉川さんに説明をされました。
最後にこの建物に関わった方々の紹介をします。
設計は十三浜字小指に事務所のあったササキ設計の佐々木文彦さん。自宅兼事務所は津波に流され今は仙台に仮の事務所を構えて設計の仕事をされています。この仕事については設計料を無償で引き受けています。
全体の工事請負は石巻市鹿又に本社のある株式会社リュクスの社長、佐々木至(たもつ)さん会社は内陸にあったので幸い津波の被害を逃れましたが、ご実家は流されてしまいました。震災時には数家族が避難所の代わりに会社のロビーに住まわれていたそうです。従業員の方々の多くも家を失い大変な状況の中、一丸となって地域の復興に取り組んでいらっしゃいます。そんななかでも今回のプロジェクトは地元の地域にとっても重要な工事ということでしっかりした物を作りたいという社長の気持ちがひしひしと伝わってきました。
そして、この工事を最も心待ちにしていたのがオーナーの佐藤尚美さん。ご自身の家も流されご主人は未だに行方不明。こども三人を女で一人で育てながらも地域のために何かできないかと立ち上がったお母さんです。にっこりサンパークに暮らす方々が買い物に来れるお店。そこに暮らすこども達が集えるスペース。世間話もできる憩いの場所となる多目的スペース。ここがどのように花開いていくのか僕もとても楽しみです。
この工事の着工まではずいぶんと長い時間がかかり、その間に北上の状況もどんどん変化していきました。地域の方々の悩みは未だにつきることはありませんが、それでもすばらしい自然と人々に囲まれたこの地が震災以前にもましてよいところになっていくお手伝いができたらと願っています。
最後になりましたが「北上ふるさとプロジェクト」にご寄付をいただいた皆様、並びにこの工事の資金の大半を出資したArchitecture for Humanity 様には、オーナーの佐藤尚美さんに代わって厚くお礼を申し上げます。AfHスタッフの吉川さん、お疲れさまでした。
北上ブログはまだまだ続けていきますのでお楽しみに!
僕らの建てている建物の裏手にあるにっこりサンパークで「絆感謝祭」と銘打った歳の市が開かれます。
間近のお知らせになってしまいましたが、12月23日午前10時より午後2時30分まで。マグロの解体ショー、餅つき大会、農産物や海産物の即売に加えて歌や伝統芸能のステージもてんこもりです!
予約制になりますがアワビやホタテの激安販売もあります。そして僕(杉原)の友達の大工さんが会津から来て手打ち蕎麦の屋台を出します。(この記事で紹介した高橋棟梁です)
詳しくは主催の石巻市北上地域物産振興協会 TEL 0225-66-2122(担当 佐々木)までお問い合わせください。
絶対おすすめのイベントです!近くの方も遠くの方もぜひ足を運んでくださいね~
We Are One ハウスの木製建具工事を担当しているのは、那須野 明さん。店舗の入り口や、店舗とこどもハウスのしきり、厨房やトイレの入り口などに木製の建具が入ります。
We Are One ハウスの木製建具は全部で12本。25日の引き渡しに向けて次々に建具が収められていきます。
石巻では建築の需要が膨大な件数になっていて、さらに年末ということもあり那須野さんも大忙し。つり込み作業は夜の10時頃まで続きました。那須野さんの工場は現在北上町橋浦にあり、そこで息子さんと一緒に仕事をされています。以前はもう少し川下の長尾というところにありましたが、住まいも工場も機械も、ストックしてあったたくさんの材料と共に津波に流されました。今は橋浦小学校の隣で作業場を借りて仕事をしています。
職人さんの道具や資材は、家や車、船舶と違い登記などされていない物がほとんどです。持っていた物の金額もはっきりしない場合が多く、再建のための補助を受けることが難しいそうです。私も同じように木を扱う職業なので、大切にしていた道具や材料に込める思いというのは良く分かるし、それを失ってしまった悔しさもひしひしと伝わってきます。
一から初めて元のように戻るのには息子さんの代にならなければ無理かもしれません。それでも日本の伝統的な手仕事を絶やさずに良い仕事を続けていただきたいと思いました。
19日、もう日も傾いて外は真っ暗になった午後6時過ぎに多目的室と廊下、トイレのクッションフロアーを貼りにきたのが内装屋の山本さん。
ここは土足で入っても良い様になっています。そして次の日には同じ部屋の壁仕上げにクロス屋さんが3名で来ました。内装施行の株式会社Chronosから営業の尾形さん、職人さんはお父さんと娘さんの二人でやっているそうです。
年末で忙しくなり営業の尾形さんも施行に参加しています。作業中も笑いの絶えない三人で一日にぎやかに作業が進みました。いつもこんな感じなの?
段取りも良く、夕方には全ての作業が終わり多目的室、廊下、トイレはこれで仕上げが完了!
僕の方はこどもハウスの収納の鴨居取り付けを終わらせました。なんだか久しぶりに大工仕事している様な、、、。
外壁の軒天周りやサッシ周りにコーキングを打ちました。外壁のトタンの色に合わせてコーキング屋さんが調色をしていきます。寒いので冬用の硬化剤を使っています。
足場が外される前に電気器具の取り付けが行われます。外回りは換気扇のフードや照明器具など。
内部は分電盤の配線とコンセントの化粧プレートの取り付け。厨房では仕上げの土間コンが打たれる前に排水部分の枠が取り付けられました。
13日はいよいよ店舗、厨房、多目的室の床土間コンの打込みです。
冷え込みが心配されたためジェットヒーター2台を焚いて夜まで左官の仕上げが続きました。残る工事は、木製建具と壁のクロス仕上げ、塗装、多目的室のクッションフロアー、木工事が少し。だいぶ完成の姿が見えてきました。
気がかりなのは予算に含まれていない部分の工事の扱いです。予算がないからと割り切って施行せずにしてしまえばそのままオーナーの佐藤尚美さんの負担になります。工事が完了するために予算とは関係なくやってしまえば、業者(リュクスさん)の負担になります。それでも外に恥じない物を作りたいと思うのが物作りの心情で、リュクスの社長さんの意気込みも伝わってきます。(彼の実家もこの先の十三浜にあり津波に流されています)大規模な自然災害により被災していても、物作りの矜持は忘れない。ここからが本当の底力の見せ所です。
北上に来てから44日目。外部の足場が外されました。
次の日には早速外部の給排水配管の設置のため掘削作業が始まりました。この地域は本下水が整備されています。震災後に痛んだところを直したそうですが、かなり早く直った方だと思います。本管からの延長が長いため深いところでは1、5m程掘りました。
現場監督の千葉さんは厨房とその奥のストックルームで壁ペンキ塗り下地のパテ処理を始めました。材料は道畑さんがサービスで置いていってくれた物を使っています。千葉さんの豊富な経験がここでも物を言っています。
アパートに帰ってから差し入れのみかんをジャムにしてみました。できたジャムはお店のお母さんたちにお裾分け。お味はどうでしたか? ちょっと甘すぎたかな?
北上入りしてから50日目。10月15日から作業に参加してくれた青島君。大工仕事を経験してみたい、ということで飯能での刻み作業から手伝ってくれました。
今年の9月まで東京工業大学に在籍していた青島君。設計の道に進む前に現場の仕事に触れてみたいということで、先ずは大工仕事からと思ったそうです。ウン、なかなか良い心がけ。電動工具をさわるのは初めてだし、高所作業など危険なことは遠慮してもらいましたが、皆が作業しやすいように現場でのいろいろな段取りや単純だけれど根気のいる作業、また木部で化粧になるところの塗装などをやってもらいました。
そしてなんと言っても助かったのが食事当番! 普段は一人暮らしであまり料理の機会もなかったようですが、今回は泊まり込みの大工衆の朝食、お昼のお弁当、帰ってからの夕食など今井君と協力してきっちり作ってくれました。朝は5時前に起きての生活ですから慣れるまで大変だっただろうと思います。よく頑張ってくれました。
一ヶ月半の間多くの職人さんと出会い、また東北の被災した地域での仕事、そこで聞いた現地の生の声。彼の人生でもかなり濃い一月半だったと思います。極めつけに12月7日には震度5の地震があり津波警報と同時に避難というこれまたすごい経験が待っていました。何はともあれ怪我もなく無事にボランテイア活動が終わったので、一安心。この経験を自分の財産としてどこかで必ず生かしてもらいたいと願っています。
お互い成長して、またどこかで会いましょう!
(PS 青島君、送ってくれたお酒ありがとね〜 美味しかったので一晩で飲んでしまいました(笑))
北上入りしてから49日目。今朝は早くから雪が降りました。気温が低いので積り始めるのもあっというまです。
店舗奥の厨房部分では板金屋の伊藤さんが壁のステンレス張りを進めています。 ステンレス鋼は一般の鋼板より固いので鋏も特別な物を用意しています。これは僕も初めて見ましたが厚くて固い鉄板を切るための鋏「ダクト鋏」。手打ちの様な風合いで柄の長さが30cm以上あります。
ここ北上町は風がとても強く、雨の日にはこどもハウスの外壁から飛び出ている梁の木口から水が回らないか心配です。予定にはなかったのですが伊藤さんがサービスで梁の木口を板金で巻いてくれました。
これで強い雨の日も安心です。
現場監督の千葉さんは間仕切りの下に入る沓刷り(くつずり)のステンレス鋼をセットしています。店舗と厨房、トイレの入り口など建具が付くところに入ります。
千葉さんは建築や土木の豊富な経験からほかの業者さんが手の届かないところを何でもやってしまいます。しかも納めが上手ですので、見習うところがたくさんあります。ミッチーが塗ってくれた壁も問題なく乾いてきました。工事はいよいよ最終章へ入ってきました。
ここの建物で一番の懸念事項が店舗部分の天井と壁の仕上げでした。ここを利用する地域の方々で自主施行と考えていましたが、天井は吹き抜けで高すぎてとても素人仕事では手が出せません。壁も面積が広いしプロにお願いする予算も計上していません。どうしようと皆で考えあぐねていました。安くて素人でも簡単にできる仕上げはないかと僕(杉原)が以前からおつきあいしていた塗装屋さんで「アートウォール」の道畑吉隆(通称ミッチー)さんに相談したところ、なんと! 材料お任せなら手間代はいらないから塗ってあげるよとのありがたい申し出が! ということではるばる東京は世田谷から来てくれました。
日程は12月2日午後から6日までの4日半。その間にお願いした仕事は、店舗の天井塗装34m2。店舗の壁仕上げ(お任せ)82m2。屋外軒裏天井の塗装18.5m2。それとできたら厨房の塗装と基礎コンクリートの立ち上がり左官も〜、っていろいろ増えちゃいました。
先ずは足場を組んで店舗天井の塗装から。ミッチーが選んでくれたのは大阪塗料工業の「ユーロカラー」ブラウン。植物油を主な原料とした塗料で有害物質を含みません。塗装していても油性塗料独特のツンとした匂いがなく、施行中に見に来た方も「いいにおいね〜」なんて言ってくれました。ここは2日の午後と3日の午前中で終了。
落ち着いた茶色に仕上がり、垂木も映えて綺麗です。
その後外部軒裏天井の塗装。水性エマルジョンペイント(EP)仕上げです。珪酸カルシュームボード下地にシーラー処理をしてから仕上げの塗装。
天候が心配でしたが、これもその日のうちに作業が完了しました。ミッチーの滞在期間、残るは3日です。4日には店舗部分壁の石膏ボードの継ぎ目にパテ処理をしてから下塗り。いよいよ珪藻土の出番です。使用した材料は日本ケイソウ土建材株式会社の「エコ クイーン」。珪藻土にはとても細かい穴がたくさんあり調湿性にすぐれ消臭効果もあります。1300度の高温でも燃えません。そして多孔質であることから熱を伝えづらく断熱性能がとても優れているそうです。冷暖房費も節約できてにおいもなくなる!これは店舗にはうってつけ!
養生や下塗りなど簡単なところは僕もお手伝いしました。
5日は仕上げに入ります。まずは色合わせの調合。ここが肝心要です。
調子を整えながら仕上げ塗り。珪藻土はそれ自体では固まらないために、「ツノマタ」という海藻から作られたのりが入っています。室内は湿気とツノマタのにおいでムンムン。
夜は冷気で白華(はっか)が起こるのが心配。正面の壁一面を明日に残し、灯油ストーブを付けていったん現場を引き上げます。火気の心配もあるため時間を置いてまた様子を見に来る間、近くの仮設居酒屋「ふーちゃん」でいっぱいやりながら夕食。ここの建物の木製建具を作ってくれている建具屋さんの那須野さんと漁師のハルちゃんも来て楽しいひとときを過ごしました。ふーちゃんについてはまた詳しく書きますが料理がおいしくてとても楽しい居酒屋さんです。
6日には最後の壁を仕上げて予定の工事完了。厨房の壁塗装と基礎の部分に付いてはノウハウを教えてもらい、後日僕と監督の千葉さんでやることにしました。今回の工事でも重要な部分だった店舗の内装が、想像以上に素敵な仕上がりになりました。オーナーの佐藤尚美さんも「すばらしすぎる…」とよろこんでくれています。ミッチーの職人の心意気、確と受け止めました。ここから完成まで僕たちもさらに気合いを入れていきたいと思います。
また、彼の東京からの交通費、ガソリン代などには北上ふるさとプロジェクトに集まった寄付金を使わせていただきました。皆様の気持ちが本物の職人の手仕事によって形になっています。改めて感謝申し上げるとともに、完成までの様子をお楽しみいただきたいと思います。
職人がつくる木の家ネットの地域会にあたる木の家ネット・埼玉から2つのイベント会場で集まった募金の振込を行いました。
10/28に行われたアースデイイン川越、10/3〜4に行われましたドリームフェスタ深谷会場にて募金して下さった方々ありがとうございました。 また、その後お振込くださった方々ありがとうございました。
アースデイイン川越の様子
http://kinoie-saitama-info.seesaa.net/article/299598934.html ドリームフェスタ深谷の様子
http://kinoie-saitama-info.seesaa.net/article/300449519.html
にっこりサンパークの周辺から橋浦方面にかけてもかなりの部分が浸水しました。住宅や田畑が流された後に、小さなお社や神社が残っています。
それは流されなかったのか、被害はあったけれどすぐに直されたのか。
集落が少しずつ復興していく様子を見守っています。
石碑が長い年月かけて木の幹に飲み込まれてしまったのが保食神社。石碑はいつの時代の物か分かりませんが、庚申塚のようでした。
ここから北上川の方を望むと、広い田畑を修復している様子と北上川から橋を引き上げる作業を続けている大きなクレーンが見えます。
少し下流側には稲荷神社があります。
僕自身、天災のあまりの大きさに驚き悲しみのやり場のない時には心の拠り所となる存在を強く感じました。人の思いをとどめ、いつも傍にいてくれるものとしてこの小さな社は守り守られています。
工事はおおむね工程通り進んでいます。外部の板張りもほぼ終わり、内部では木製建具の付くところに枠が収まりました。
店舗の吹き抜け部分は左官仕上げとなります。来週2日には塗装工事と壁の左官仕上げのために東京は世田谷からミチハタメンテナンス工業の道畑君が来てくれます。そのために店舗の壁ボード貼りを優先して進めました。
今回の工事には刻みの段階から綾部工務店の今井君が参加してくれました。綾部工務店は職人が作る木の家ネットのメンバーで埼玉県川越市で伝統工法の家作りをしています。
そこの職人さんの今井君は今年で大工歴8年目。綾部工務店に入社する前には一般の住宅を手がける会社にいました。今回の建物は伝統的木組みのこどもハウス、一般的な在来工法の店舗や多目的室と構法に違いがあります。今井君は両方経験があるので仕事がとてもスムーズでした。松ちゃんは綾部工務店で大工を初めて2年目。初めての在来工法でもあり戸惑うところもあったようですが、そこは若さと情熱でカバー!二人の働きで無事に店舗の壁が貼り終わりました。後は仕上げを待つのみです。今井君、松村君ありがとう!
宿舎に帰って最後の夕食は、洋食屋でバイト経験もある松ちゃんのお手製ハンバーグでした。美味しかったよー!彼らは埼玉に帰ってから綾部工務店で大きな仕事が待っています。伝統的木組みの家です。北上で作り上げた仕事を胸に刻んで日本の良き伝統技術と職人魂でこれからも良い仕事を続けてください。そしてまたどこかで共に物作りの時を過ごそう。