春の農作業で大わらわ

大分暖かくなって来ましたね。相変わらず流浪の民で、先週も東京、大阪、神戸、九州と移動し、塩田平には半分もいられません。それでも父が人参や野菜の種を蒔いてくれました。またレタスやキャベツの苗も買って来て、植えてもらいました。残念ながら肥料設計がうまく出来ないようなので、様子を見ながら追肥して行くつもりです。田んぼの準備もしなければならない時期ですが、とても追いついていません。まずはジャガイモを植えなくてはと、種芋を買いに行って驚きました。売り切れでほとんど売っていません。

 

良く考えてみればもう4月も中旬です。ジャガイモの植付けは、塩田平ではできれば3月中にやってしまいたいもの。そろそろ種芋が無くなってしまっても文句は言えません。小さな種芋ならそのまま植えれば良いのですが、残っていたのは男爵の特大の種芋だけ。切って植えねばならないので、それぞれの種芋を包丁で6つに切り分けましたが、それだけで3時間ぐらいかかってしまいました。忙しくして準備が後回しになると、ますます時間がかかります。でも男爵を中心にしたいと思っていたし、大きな種芋の方が大きな芋になるので、まあ良しとしましょう。

 

大阪も神戸も九州も、桜が盛りでした。一部は葉が出始めています。残念ながら大阪は雨でしたが、九州で内輪でお花見をしました。照明の自粛で暗い中でのお花見でしたが、桜がきれいな良いお花見でした。季節季節の行事は大事にしたいと思っているので、震災や原発事故があっても、こうした行事や日常の作業を続けて行きたいと思います。そろそろ米作りの準備に入りたいのですが、原発事故の影響でなかなか手が回らないというのが正直なところです。でもあと一息という感じになって来たので何とかなるでしょう。日本の食料生産が減少しないよう、少しでも協力したいと思っています。

 

塩田平と九州はだいたい落ち着いたので、東京に戻った子供達の事故対策をすれば、当面の原発事故対策はお終いです。25年前のチェルノブイリ事故の時に色々考えましたし、塩田平に定住した時も、日本でも原発事故が起こる可能性を考えて、それなりの準備や対策をしました。電力の契約を15アンペアにして、薪を使い、出来るだけ原発の電気に依存しない生活を目指したつもりでした。それから15年。非常時に放射性降下物から畑を守るためのシートも、放射線測定器も、引っ越しのついでにどこかに行ってしまったままで見つかりません。人間は忘れてしまうもののようです。

 

塩田平も福島から300キロ弱なので、放射能雲が流れてこないとは限りません。実際近隣で線量が上がっている地域もあります。あわててシートを買って来て、一部だけですが畑を覆いました。先週大風が吹き荒れ、シートはみんな飛んで行ってしまいました。翌日雨が降りました。シートは、主に雨とともに落ちてくる放射性物質を防ぐためのものだったわけですが、これでは何ともなりません。しかしまあ、いずれにしろいつまでもどうなるか分からない事故の収束を待ち続けるわけにはいかないのです。放射能も困りますが食料生産の落ち込みも困ります。どうせそろそろ作付けを始めねばなりません。放射能がどうなるかは、運を天に任せることになりそうです。